東南アジアには多くの観光地がありますが、中でも有名なのはカンボジアの世界遺産、アンコール・ワットではないでしょうか。アンコール・ワットを代表とするアンコール遺跡ですが、一時的に世界遺産としての価値が損なわれているとして危機遺産に登録されていました。

 

アンコール遺跡に何が起こって、危機遺産に登録されてしまったのでしょうか。

 

世界遺産アンコール遺跡とは?誕生の経緯

まず、アンコール遺跡とはどのような場所で、何があって誕生したものなのでしょうか。

 

アンコール遺跡は、9世紀から15世紀までにカンボジアで続いたクメール王朝時代の首都だった場所です。アンコール・ワットは、スーリヤヴァルマン2世が統治していた12世紀の前半、ヒンドゥー教の寺院として登場し、それから30年を経て完成しました。しかし、その200年後、アユタヤ王朝の侵攻により首都は陥落。アンコール・ワットは放棄されてしまいます。

 

それから長い間、忘れられていたアンコール・ワットですが、再発見された後、改修と修復が行われ、世界遺産に登録されました。そして、観光地として広く知られることになりますが、再発見後も常に大事にされていたわけではありませんでした。アンコール遺跡で何が起こったのでしょうか。

 

アンコール遺跡が危機遺産に!原因は戦争か

アンコール遺跡が広く知られたのは、19世紀の後半でした。フランス人の冒険家である、アンリ・ムーオ(Henri Mouhot)がその存在を広めた後、1887年にカンボジアはフランス領となり、遺跡の保存と修復が行われるようになります。

 

しかし、1972年にカンボジアの内戦が始まることに。その影響でアンコール遺跡は多くの傷を負い、アンコール・ワットに関しては、堀と城壁に囲まれているため、戦いの拠点にもなっていました。

 

そんな状況だったため、アンコール遺跡は戦火を避けられず、砲弾の跡も残ることになります。そして、1992年にアンコール遺跡が世界遺産に登録されましたが、同時にその価値が損なわれる恐れがあると、危機遺産にも登録されてしまいました。

 

ただ、アンコール遺跡の魅力がすべて失われたわけではなく、保護活動の意識が高まります。修復の際はフランスだけでなく日本も協力し、2004年に危機遺産からの登録が解除され、今も世界遺産として多くの人に愛されています。

 

アンコール遺跡の見所を知りたい!

このように、数奇な運命をたどったアンコール遺跡ですが、観光地としてはどのような魅力があるのでしょうか。

 

・アンコール・ワット

アンコール遺跡の中で、最も有名なところは、やはりアンコール・ワットになるでしょう。遺跡の前には池があり、正面から見るとそこにアンコール・ワットが映し出されるので、1枚の絵のように魅力的な景色となっています。

 

他にも、王だけが入れる場所だった第三回廊、天国と地獄が描かれる第一回廊など、多くの見所があります。

 

・アンコール・トム

アンコール・ワットの北に城砦都市遺跡のアンコール・トムがあります。ここには、神話を描いた石像が並ぶ橋や、入り口の大門、巨大な観世音菩薩などが有名です。どれも迫力があるものなので、アンコール遺跡に訪れたら、ぜひ見に行きたいところですね。

 

・ベンメリア

ベンメリアは映画で見るような密林の景色を見せてくれます。日本の有名アニメ「天空の城ラピュタ」で出てくる景色も、このベンメリアがモデルだったと噂されるほど、神秘的な景色が広まっています。密林の中に忘れ去られたような遺跡たちが、なんとも味を出している風景です。

 

アンコール遺跡が再び危機遺産にならないために

世界遺産は、さまざまな国に存在し、大切に保護されてしますが、中にはアンコール遺跡のように危機遺産になってしまう場合もあります。それは人間の活動が原因となることも。

 

世界遺産は文化的な建造物だけでなく、美しい自然環境も指定されています。私たちは、文化も自然も失われてしまうこともがないよう、自らの生活を見直す必要があるかもしれません。

 

また、このような問題が発生していることを多くの人が知り、意識を変えていく必要もあります。アンコール遺跡の他にも、このような問題を知ったのであれば、ぜひ「えことぴ」で共有してみてください。